一流と二流、天才と凡人、達人と素人の違い

最初に申しあげておきますと、私は、天才でもないし、才能があるわけでもありません。達人と呼ばれるほど、卓越した技術を持っているとも思いません。どちらかというと、自分自身そんな卑下しているわけではないですが、料理人として、“フツウ”かなとも感じます。

別に有名でもないし、テレビや雑誌の取材が来ることもありませんし、三ッ星やミシュランとかを取っているわけでもありません。

正直言って、私と同年代の料理人たちを見ると、「おれ、もっと頑張らなきゃ!」と毎回会うたびに思うくらいすごい料理人たちばかりです。もちろん、こんなこと言うのもなんですが、私以上に頑張っているなとも感じます。

ただ、それはお互いさまで、私自身もよく同世代の料理人に同じようなことを言われますが、心底、私は全然自分のことをスゴイと思っていません。もし、本当にすごかったら、もうすでに有名になって、世界中を飛び回っていると思います。

でも、そんなことないです(笑)って、そんな話はどうでもよいのですが、、最近ある本を読みました。『究極の鍛錬 天才はこうしてつくられる』

このような題名の本を読んでいる時点で、私が天才でないことが良くお判りでしょうが(苦笑)

究極の鍛錬

内容を簡単に伝えると、モーツァルト、タイガーウッズ、ビルゲイツなどなど世の中の天才と呼ばれる人たちに共通するある「訓練法」とはなにか? 「才能なんて、本当はいらない!?」ということについて研究されて書かれている本です。そして、もっというと、「この世に天才は存在しない」ということが書かれています。

この本では、タイガー・ウッズの場合、父親が生後7ヶ月からゴルフクラブを渡し繰り返し目の前でショットを見せていた。

モーツァルトの場合は、神童と呼ばれた彼ですが、実は子供時代の作品は父親が手を加えていた などの事例が書かれていて、なんだか夢のない話に聞こえますが、裏を返せば「誰でも努力で天才になれる」 とも言えます。

また、 100年前のオリンピックの短距離走の 金メダルは、現代の高校生と同じタイム なども書かれていますが、簡単に言えば 『効率良い正しいトレーニング』 が発達したので、昔の記録をどんどん塗り替えているとの事でした。

生まれつきの才能などは関係なく『練習量』 と 『練習方法』 がポイントで、練習量と練習方法で誰でも 天才になれるという事です。「やっぱり努力しないとダメなんだな~。世の中にラッキーなんて存在しないんだな」と、読んでいて気分が重くなる事を保証します(笑)。

そんな中でも印象深かった言葉を紹介します。

「私たちが、達人ならものすごい知能や記憶力を持っていると思いこんでいるが、多くの人はそうではない、達人たちの一般的能力は驚くほど平均的だ」

「困難に陥るのは、知らないことが原因ではなく、実際は知っていると思い込んでいることを、知らなかったことが原因である」

「生まれつきの才能が仮に存在するとしても、それは重要ではないかもしれない」

「のちに偉人となる人たちの幼年時代の話は、いずれも後年起こることを何も伝えてはくれない」

「チェスの最高の名人の中には、IQが通常以下である人もいることが調査研究でわかっている」

「偉業達成において知能は高いIQは、必要条件ではないと研究成果が示している」

「達人と素人の違いは特定の専門分野で一生上達するために、考え抜いた努力をどれだけ行ったかの違いなのである。」

「究極の鍛錬には特徴的な要素がある。

1:実績向上のために考案されている

2:何度も繰り返すことができる

3:結果のフィードバックが定期的にある

4:精神的にはとてもつらい

5:あまりおもしろくない(本質的にはおもしろくない)」

「単に練習時間を比較するのではなく、どれだけ熱心に練習に打ち込んだかも見ない限り本当のことはわからない」

「究極の鍛錬がもたらす効果は、具体的に言うと、普通の人に比べ、よりよく認識し、よりよく知り、より多く記憶できるようになることだ」

「卓越した能力を持つ人は、自分の専門分野の情報については驚異的な記憶力を持っている(長期記憶として覚えられる情報引き出し構造を手に入れている)」

「もっとも素晴らしい業績を上げるものは、結果ではなく、結果に至るプロセスを目標におく」

「達人たちの人生の中で驚くほど共通する特徴の一つは、成長過程の決定的な重要な時期に貴重な誰かの助けを受けている点にある」

「達人は自分の専門分野以外ではたとえ技能に衰えを見せていても、自分の専門分野では高い水準で能力を維持し続けることができる」

「重要なのは、次に何が起こるのかを予想できるようになること」

何度読んでも、「やはり、努力なんだな」ということがよくわかります。、、、頑張りましょう!(^^)!