究極の愛情料理とは何か?

私は15年以上飲食業界で、料理をずっと作り続けてきました。そして今、行きつくところ、結局は「料理は愛情」ということにたどり着いているのですが、その「料理は愛情」とまともな顔で答えたら、友達に「じゃあ、愛情って何?」と聞かれ、すぐに答えられず、

ありきたりな答えの「想いやり、、、」と言う、微妙な答えをしてしまったので、もう少し真剣に考えてみました。

なにげない一言が、すごく深く心に残る、そして考えさせられる一言でもあったので、今回このように書こうと思いました。

、、、で、私の答えを言います。実際考えてみると、色々あるのですが、

愛情の解釈1

愛情とは、、、、「引き下がること」

これは過去の経験からですが、いくら相手のことを考え、想って行動していたとしても、その私の行動が、相手にとって必ずしも良い結果をもたらすとは限らないということです。

例えば、めっちゃ好きな人がいて、花束や手紙を渡したとしても、相手があなたのことをキライだったら、ストーカーになります。しかし、その相手があなたのことが大好きでしょうがなかったら、最高にハッピーです。

多くの場合(というか私の場合ですが)、相手にギブ(与え)過ぎて、引かれることがあります。というより、相手のことを考えて、先回りして好きだと思う物、必要だと思うことを与えようとするのですが、

いかんせん、相手は自分のことを好きでも何でもないので、ガツガツ行き過ぎて、相手はどんどん離れて、それでも追いかけて、泥沼にハマります。なので、適度に相手から離れる事「引き下がること」も大事だと思いました。

つまり、愛情とは何かというと、ひとつに「(適度に)引き下がること」です。

逆の言い方をすれば、相手の自分への好意の状態を見極めることと、相手にも愛情を与えるスキを作ってあげる事かとも思います。

愛情の解釈2

これは、ある方の本からの受け売りですが、「相手の下に立つこと」です。

「“相手の下に立つ”って意味がわからん」と思うかもしれませんが、相手に下に立つとは、相手を理解することです。

地球(大地)と人間との関係が良い例で、人間が安心して生きていられるのは、その下で地球という土台(大地)が支えてくれているからであって、その下で支えてくれているものが無くなれば、たちまち私たちの存在すら怪しいものとなってしまいます。生きていくことすらできません。

人間関係も同じで、自分の下で支えてくれている人がいるからこそ、自分がいるわけで、その支えてくれている人たちがいなくなれば、自分の存在はたちまち消えてしまうかもしれません。

だから、愛情とは、相手の下に立って支えてあげること、つまりそれは、相手を深く理解することにも繋がります。

ここで、「別に、相手の下に立たなくても、上の立場からでも相手のことを支えることもできるし、理解することもできるのでは?」と思うかもしれません。

でも、本当に相手を理解している人は、それが、立場が上の上司や社長であろうが、人生の先輩や両親だろうが、年下の、部下の、子供であるあなたの下で支えてくれているのです。それは、どちらかと言えば、物理的なものよりも、精神的な意味合いが強いです。

その場合、上から物事をいうような感じではなく、「一緒に頑張っていこう」とか「応援しているよ」みたいな感じかもしれません。

、、、でもう一つ言うと、下に立つことと、理解することが同じだという決定的な証拠があります。それは、「下に立つ」をそのまま英語にするとすぐに解決します。

下に立つ=Under Stand

英語のアンダースタンド、Understandの意味は直訳すれば「下に立つ」ですが、あなたもご存知の通り、もう一つの意味は、Understand =理解する」です。

私にとっての愛の解釈は、「相手の下に立つこと」つまりUnderstand(理解する)ことです。

愛情の解釈3

もう一つ、前の2つに似ていますが、「相手に負ける」「相手の2番目になる」ことです。

だれもが、本当は一番になりたいと思っています。認めてほしいと思っています。そんな時に、「私の方がもっとすごい!」としゃしゃり出て、相手を負かして、1番になったとしても、相手は喜びません。

個人的に思うことですが、本当に賢い人は、常に世の中の2番手にいます。

1番トップの人は、周りから期待され、下からの勢いにも負けられないので頑張りすぎて、心身ともに疲れ果ててしまいます。大きなプレッシャーもかかり、常に1番を守り続けるのは大変ですし、いつかはその順位を奪われる日がきます。

そうではなく、本当にすごい人は、“実力があるのにわざと1番にならない人”です。

表現は難しいですが、2番目と言うより、相手にとってもっとも信頼できる人であり、支えてくれる人でもあります。そして、自分を1番にしてくれる相手には、優越感もありますし、誇らしいですし、嬉しいです。

それを近くにいる2番目のあなたが支えてくれたら、ものすごい信頼を寄せてくれますし、すごく嬉しいと思います。

 

以上が私にとっての愛の解釈ですが、もしかしたら、「おまえの言うことは全く理解できない」と思っているかもしれません。今の私の心情なので、すごく変かもしれませんし、数年後にはまた変わるかもしれません。

、、、それは置いておいて、

愛情料理とは何か?

その愛情をベースにして、料理に例えてみると、愛情料理とは何かと言われると、一言では言えませんが、

例えば、お店の主張が強すぎる、シェフのこだわりが強すぎる料理は、食べている側も疲れます。もちろん、すごく美味しいかもしれません。ミシュランで3つ星取るような料理かもしれません。良い食材を使った栄養的にも抜群のすごく健康的な料理かもしれません。

しかし、もしかしたら、毎日食べたいとは思わないかもしれません。

そこが料理の難しいところで、“食べる側がどのような気持ちで食べるのか”かなり重要になってきます。

・レストランでの料理だけを期待して食べに来るのか?

・パートナーの誕生日だから、相手の喜ぶ顔が見たくて食べに来るのか?

・お腹がすいたから食べに来るのか?

・みんなで楽しくしたいから食べに来るのか?

これはマーケティングでも重要になってくる要素ですが、相手の年齢や職業、性別などの特徴で、お店のコンセプトや料理を決めるのではなく、“目的”で決めることが大事です。

食べる人にとって、その目的は何が一番優先させることなのか?

それを考えて、追究して出す料理こそが究極の愛情料理です。

相手にとって、「お腹がメチャクチャすいたからとにかく何か食べたい」という目的であれば、時間をかけて、技術や良い食材をふんだんに使った高級な料理より、短時間ですぐに出せる山盛りの白飯の方がよっぽど価値があるのです。

砂漠で、のどが渇いてふらふらになった状態で、1km先に高級レストランがあっても、目の前に湧水があれば、そちらの方に飛びつきます。

相手のその時の目的に合った料理が“愛情料理”であり、それにプラスして、栄養のある食材や、感謝の気持ちで作った料理、食べて元気になる料理であれば、言うことはありません。

 

 以上、「料理は愛情」の話から「愛情とは何?」に始まり、「愛情料理とはなんぞや?」のところまで、自分なりに感じたことを今回書きました。あなたはどう感じましたか?

もう一つの愛のカタチはこちらから 料理は愛情、究極の愛情表現とは