料理の世界に限らず、その業界でずっと根気よく続けられる人と、途中で諦めてしまう人がいます。
もっと大きく捉えると言葉通りの生死の選択(生きるか死ぬか)でも、「辛くても生きる道を選ぶのか?」「楽になりたくて死ぬ道を選ぶのか?」このような究極の選択を迫られて、死を選ぶ人は多いです。
今日は、ちょっとホラーな話も含め、でも、とても心に響く話をシェアします。
私はホラー映画が大好きです
この前も『SAW』の最新版を映画館に見に行きました。ご存知の方も多いかもしれませんが、この映画は、かなり“痛い”映画です。(「痛い」とは身体を切り裂くようなシーンが多いということです)
見ていて、「これ以上見ると痛くて、見ていられない!」って思い両手で目を隠しながら、ちょっと指の隙間からちらっと見てしまうような、「見たくないけど見てしまう」映画です。内容はあまりにも残酷なので書きませんが、
簡単に説明すると、究極の生死の選択を迫られ、死ぬかもしれない拷問のような痛い思いをしてでも、
・生きる可能性を信じて生きる道を選ぶか、
・諦めて、そのまま拷問を受けて死ぬか
の二択を選ぶのです。どちらにせよ痛い思いをするのですが、それが永遠に繰り返されます。(笑)
そんな映画にあるような選択を迫られたら、迷わず死を選ぶ(自殺する)というのが、その状況を想像した時の私個人の意見です。さて、これは映画だけの話ではありません。
1994年、アウシュビッツ強制収容所。
2000人収容の建物に1500人が詰め込まれていた。囚人たちは、週に二切れの パンで命をつなぐ。寝ることすらままならない 住環境。感染症の蔓延。昨日まで隣にいた仲間が 何の理由もなくガス室に送られる。
恐怖は果てしなく続いた。 多くの者が、電流が流れている 有刺鉄線へ飛び込んだ。自殺だった。 そのうち、次に誰が飛び込むか 察しがつくようになった。タバコを吹かしている連中だ。タバコは、お金と同じで 食べ物や手助けなどあらゆるものと 交換できる。それを自分で吸うのは 最後の最後にやることだ。
あるものは、死に、 あるものは、生き残った。生きながらえたのは誰か?
自らも収容されていた 精神科医のヴィクトール フランクは、この世で最も過酷な場所で 恐怖に耐えて生き続けられるものが どんな人であるかを悟った。生きながらえた人とは、、、、。(引用・参照:「残酷な成功法則」より)
*答えはもうすぐ言いますので、もうしばらく読み進めてくださいね。
仕事も人生も同じ
料理の修業は、私の体験談から言えば、決して楽しく面白いものではありませんでした。料理人志望の人は、“料理が好き”という理由でこの業界に入る人が多いですが、本音を言うと、私は“料理が好き”で料理人になろうと思ったわけではありません。
高校生の時期に、世間を何も知らない若造の頭で一生懸命考えて、消去法で、自分のやりたくない職業と生きる上で何が必要なのかを問い詰めてきた結果、「料理人をやるしかない」「一流になるまで諦めずに続けよう」そう思って、飲食の世界に入りました。
もしかしたら、「料理が好き」という理由じゃなかったからこそ、今まで続いてきたのかもしれませんが、“好き”という幻想だけを抱いて、その世界に飛び込むと、そのギャップの違いに幻滅し、ショックを受けて辞めてしまう人は多いです。
これは恋愛でも同じことが言えるかもしれません。“好き”という表面上の幻想だけで、理想の人と付き合っても、いざ一緒に生活してみると、「えーー!こんな子だったの!?」みたいな(笑)少なからずあるかと思います。
話は戻りまして、私は、一流(私の“一流”の定義ではプロとしてちゃんとお金を稼げて経済的に生活して家族も幸せにできるレベル)になるまでは絶対に実家に帰らない。
帰るときは、文字通り死んだ時か一流の料理人になって胸を張って帰る時か、その2択しかないと心に決めて実家の名古屋から離れ、大阪に修業しに行きました。ただ、自分の心の中で決めただけで、根拠などは全くありませんでした。
残酷な場所で生き続けられる人とは?
収容所の話の答えです。
この世で最も過酷な場所で 恐怖に耐えて生き続けられるものが どんな人であるか?
生き永らえたのは、
愛情を持って自分を待ってくれている人がいる人、そして、やり残した仕事に対して責任を自覚している人でした。
彼らは、「なぜ」自分が生きるべきかを知っているので、決して人生を投げ出すことはありません。
自らの命が【自分自身より大きな理由のために存在していること】を知るものは生き残り、それ以外の者は、タバコを一服したのち電子柵に向かって最後の疾走をしました。人は、自分のためより、誰かのための方が頑張れるのです。
愛情を持って待ってくれる人がいる、というのは、とても大切な事ですが、それだけではなく、自分の存在理由となる使命を持って仕事に取り組む事も大切な事だと思います。なぜなら、働いている人であれば人生の大半の時間は仕事に費やしているからです。
そして、仕事を投げ出さないのは使命があるからだ、ということになります。
【使命】は、簡単に見つかるものではないかもしれません。しかし、見つけようと思わない限り見つかることは永遠にありません。なので、まず、何より大切なのは、自分より大きな存在、他人であり、社会であり日本であり、世界に目を向ける事だと思います。
そんな想いを込めて、ちょっと夢がなく現実的な話をします。
賢い人は成功しない、バカが成功する
ヒーローに憧れるのは男子だけでしょうか?いえ、女子にもお姫様願望はあるはずです。
子供の頃、自分をヒーローと重ね合わせて遊んでいました。布団に入って悪を退治してお姫様を助ける物語を妄想をしていました。私達はストーリーを生きています。
ドラマや映画を見て、小説や偉人の伝記を読んで、自分と重ね合わせて涙を流します。
現実に辛いことがあったら試練だと考え、辛いことの後には必ず良いことがあると信じます。
1度2度失敗しても3回目はうまくいくと信じます。神様からの試練だと考えます。
しかし、そこには何の根拠もありません。現実的に考え、悪いことのあとには、悪いスパイラルに巻き込まれているので、もっと悪いことが起こります。
マイナスがマイナスを引き寄せます。2度失敗するものは、だいたい3度目も失敗します。5回6回、10回以上失敗するかもしれません。
現実的に考えると、楽観的になるのは不可能です。だから、頭が良く冷静な人は、楽観的に妄想しないで、現実を見て諦めます。
確立で言えば、それが真実です。でも、成功する人は楽観的に考え妄想する人です。変態的、異常ともいえる妄想をする人です(笑)
何かを成し遂げようと思えば、上手くいかないこと、どうして良いか分からないとき、思うような結果がでないとき、もう、自分には向いていないんじゃないかと感じること、そんな出来事はたくさんあります。
そんな時、子供のころ、ヒーローごっこをしていた時を思い出してみてください。おままごとをして、お花屋さんに憧れ、素敵なお嫁さん、お姫様になることを妄想していた時を思い出してみてください。
完全に自分都合の ストーリーの捏造をして進むのです。
周りから見たら、バカでアホで、しょうもないことばかりやっているな、と呆れた顔で見られるかもしれません。
それでも行動してください。
出口のないトンネルストーリー
今、自分は真っ暗なトンネルを歩いている。永遠に続くかに思える暗闇が続く。 どこまでも、どこまでも真っ暗だけど、手探りでノロノロと歩いて行く。でも、終わらないトンネルはない。 歩き続ければ必ず出口はやってくる。
もしかしたら、あと100メートル歩けば、明るい光が見えてくるかもしれない。あそこのカーブを曲がれば急に光が差し込むかもしれない。
それなのに、今、辞めるのか?これは試練だ。神は、乗り越えられない試練は与えないと言うではないか。どっちにしても、命をとられるわけじゃない。死ぬわけじゃないのだからまだ歩こう。
そんなストーリーを捏造して前に進む。
現実的に考えたらかなり非論理的な考え方をしています。そもそも、この世界はトンネルじゃありません。自分は料理の修業をしているのであって、トンネルを歩いているわけではない。
今後うまくいく保証なんてどこにもない。うまくいくどころか、もう数カ月ずっと悪くなりっぱなしだ。怒られっぱなしだ。普通に考えたらこの先、もっと悪くなるだろう。急に上手くいく方が不自然だ。
現実世界、実際に、いつまでたっても良くなってないじゃないか。確かにそうだ。 賢く考えればそうだろう。
料理の世界に入って5年以上たっても、ずっと思っていました。ただ、私は賢くないので、信じたい方の妄想を心から信じました。
その他にも、恥ずかしくてあまり言いたくないですが、当時思っていたことを暴露すると、
「料理ができる男は女子にモテると雑誌に書いてあったけど、いっこうにモテる兆しが見えない。むしろ女性から敬遠されている気がする。あそこに書いてある言葉はウソだったのか? いや、ウソじゃないはずだ。」なんて葛藤もしていました(笑)
このように、人から見たら信じがたい妄想を信じ、そして次のような、根拠のない言葉を常に自分に言い聞かせます。
「大丈夫」
「明日はよくなる」
「もっと良くなる」
「やるしかない」
「いつかすごくなる」
バカだから、これまでやり通せました。そして、周りの賢い友達は皆、料理の世界からいなくなっていった。給料の良い、待遇の良い、華やかに見える世界・場所に現実の世界を求めて移っていった。
バカな妄想をする人が成功する
誰も想像すらしなかったような結果を出す人は、誰にも理解できないような妄想のストーリーで生きてきた人。賢く、現実を見て、冷静に考えていたら何もできません。
そんな賢さはいらない
楽観的になって、何もしないということではないです。必ず手段は見つかると信じてとにかく行動すること。
自分に都合の良いストーリーを言い聞かせながら動き続ける事。
かっこわるくてもいい
はずかしくてもいい
賢くなくてもいい
弱い部分を見せてもいい
情けない姿を見せてもいい
落ち込んでもいい
泣いてもいい
どんなあなたでも、世界のどこかで応援してくれる人がいる。好きになってくれる人がいる。そう信じて、妄想して。使命感、ビジョンを持って、自分のやりたいことをやって、そして、必ずその先には笑顔で待ってくれる人がいることを信じて自分勝手な妄想を抱いて前に進む。
これがどんな世界においても、最後の最後まで生き残る人の条件かもしれない。
何度、怒鳴られ成長しない、いや退化する自分に挫折してることか。本文読んで、泣きました。25にもなって何にもできず、調理業界から無関係の年下からも呆れられ、後から来た年上の人からイジメを受けていることか。今でもただ本当に調理の世界に身を置いてよかったのか、とさえ問い続けてます。
しかし、思えばそれでも続けてるのは馬鹿の極みです。ずっとやり残してる掃除だけです。そしてそれでもしっかりとした調理師になろうと執着してます。
まだまだやり残したことは山積みです。そして自分に負けてはいけないと、そう思いました。