世界に認められる日本人の精神性こそが、最も素晴らしいと唱える人がいる中、実は真逆の、悟りの境地とは程遠い概念を含んでいるのが日本料理です。
そんな言い方すると、私は日本料理界の大御所に抹殺されそうですが、びくびくしながらも、この議題について語ろうと思います。
ちなみにこちらの記事はこのブログから引用しています⇒『悪魔の料理番 ~逆説パラドックス~』https://bit.ly/2KjXoNa
“有”が“正しい”日本料理!?
日本料理は、
- 吉か凶か
- 山か川か
- 天か地か
このような両極端の位置づけを料理に影響させることをめちゃくちゃ好みます。おそらく、フランス・イタリア・中国料理などなど世界にさまざまなジャンルの料理がある中でも、群を抜いて、区別をしたがるのが日本料理です。
ここで一つ、私が昔驚いた事例を挙げます。
ありのみ事件
修業当時、ある献立の中に、『有りの実』という言葉がありました。
懐石料理の献立の中でも、その『有りの実』はコースの最後に書かれていました。
私は「『ありのみ』ってなんだ?聞いたことのない食材だな」と思い、当時の副料理長に尋ねました。
私「あの~、メニューに『ありのみ』ってありますが、うちでこんな食材扱ってましたっけ?」
すると副料理長は「『ありのみ』はおまえ、今の時期毎日触ってるやんか、これや!」と言って、取り出したのがなんと、、、
『梨(なし)』でした。
私「???、、、え?これ梨ですよね?なんでこれが“有りの実”なんですか?」
と聞くと、副料理長「おまえ、“無し”って縁起わるいやろ、お金が無し、友達も無し、偉くも無し、など、無しって言葉は色々良くない連想をさせる代名詞だ。だから梨(なし)は何も無いの“無し”をお客さんに連想させるから、
梨(無し)という言葉は使わずに、その逆の“有り”という言葉を使って、梨自体を“実(み)”と“見立て”て『有りの実(ありのみ)』と言うんだよ」
私「へぇ~なるほど、、、」
、、、そんなやりとりを思い出しました。
この“梨=有りの実”事件は、かなりインパクトがあったのですが、日本料理にはその他にも真逆の意味を使うことが多々あるのです。
日本料理あるある ~両極端の表現をする時~
他の例を挙げると、慶事と弔事(結婚式や顔合わせと葬式や法事)では、料理内容もさることながら、皆敷(かいしき)と呼ばれる、天ぷらの下に敷く時の紙の折り目方向も変わってきます。
詳しくはこちらの記事の下の方に書いてあります。
【器の正面・方向・置き方&懐紙の折り方や向きのルール】https://bit.ly/2FbWI8r
料理はお祝い事なら紅白が基準で見た目も華やかですが、法事とかネガティブ系なら白黒が基準です。
言い方悪いですが、見た目質素で、あまりおいしく見えません。でもそれは不味そうに見せているのではなく、お客さんの気分に合わせて、“わざと”そのように作っているのです。
葬式なのに、めっちゃ豪華で美味しそうな華やかな料理が出てきたら、日本人なら「え、、!?」と思いますよね。
法事なのに、気持ちを盛り上げる華やかな料理を作っても逆効果なので、その場その場の気持ちに寄りそうような料理を提供するというのが日本料理の心得なのです。
そうなると、もちろん盛り付ける器も変わってきます。鶴とか亀とか間違いなく弔事は禁止です。そんなもの出そうものなら、お客さんは怒り出します。食べる相手の状況や気持ちを読み取らなければならないのが日本料理です。
また、さきほどは有りと無しの例を挙げましたが、料理の作る工程でも、野菜の頭とおしり(茎がついていた方と先っぽの方)のことを天と地と呼んだりしますし、
山水盛りと言って山と水(川や海)を両方表現するお造り(お刺身)の盛り付け方法もあります。この場合は奥側を高く盛り付け、手前を低く盛り付けます。
また今出てきた、お刺身の『刺す』という言葉は、良い連想をしないので『造る』と呼びますし、他にもありとあらゆる場面で両極端の事例を一つの料理に盛り込むことがあります。それを思うと、日本料理が“和”食と呼ばれるのもあながち納得できると感じます。
それもそのはず、二本(日本)の両極端の意味合いを持つものどうしを“和(一つに融合)”するという意味にも捉えられるからです。
でも考えれば考えるほど日本料理(和食)の精神性は奥が深いですね。