お餅の作り方
おもちは「餅つき機」や「臼と杵」、「炊飯器」でも作ることができます。
必要なのは、もち米、水、片栗粉(打ち粉)です。
炊飯器で作る場合、もち米をとぎ、水につけて1時間程度おきます。炊飯器で普通に炊きます。
もち米が炊けたら、ボウルに移し、すりこ木やめん棒で米粒をするようにつぶして、米のつぶつぶがなくなったら出来上がりです。簡単ですね。ちぎるときは。くっつくので片栗粉を使えばOKです。
「餅もち」の語源由来
「餅」という言葉の語源にはいろいろな説があります。
【1】満月が餅の紀元
「望月」から由来しているという説。
望月(もちづき)とは満月のことで、満月のような円の形は円満の象徴と考えられていたため、太陽や月を尊祟し、祭りなどのたびに太陽や月になぞらえて餅の形を円にしたりしていました。なので、満月=望月の“もち”からきたのではないかという説。
【2】中国・台湾語「モアチイ」語源説
中国や台湾では餅のことを「モアチイ」と発音するため。
餅が日本に伝わる時、「モアチイがモチとよばれるようになった」という説。
【3】「持ち歩くご飯」説
餅は小さくて腐りにくいので昔は弁当としても重宝されていたので。「持ち歩くご飯」という意味で「もち」と呼ばれるようになったという説
お餅の始まり・歴史
お餅は稲作の伝来とともに東南アジアから伝わったといわれていますが、いつ頃から日本で食べられ始めたかはよくわかっていないです。
「餅」という字が初めて記録に出てきたのは奈良時代。国の産物や伝説をまとめた「風土記」には「大昔、豊後国(今の大分県)に白い鳥が飛んできて『餅』になり、それから豊後が豊かな国になった」と記されています。
また、「養老令」という国の法律を定めた書物の中には、国政に携わる仕事のひとつに菓子を作る係り「主菓餅(くだもののつかさ)」という名称があったことを記しています。
平安時代には、餅は各行事のお祝いの食べ物として天皇や貴族の間で食べられるようになりました。現代もお祝いの席でお餅が食べられたり配られたりするのは、この名残と考えられます。
普通の人たちが餅を食べるようになったのは江戸時代中期頃といわれていて、田んぼが増えたり、米作りの技術が上がったことで、たくさん米が取れるようになってからのことです。
鏡餅の飾り方
日本では玄関などに鏡餅を飾り、1年間の幸せを願いますね。今はあまり見ない風景ですが、、、鏡餅を神様にお供えし、その餅をみんなで分け合って食べることで神様からの祝福を受けようという信仰・文化の名残りからです。
では、なぜ重ねた餅を鏡餅と呼ぶのでしょうか?
<説1>
丸い餅の形が昔の銅鏡に似ていることから「鏡餅」と呼ばれるようになった。古来から鏡は神様が宿る所と考えられていて、鏡餅は神聖な供え物だったのです。
<説2>
鏡餅の「鏡」は「鑑みる(かんがみる)」。つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」と呼ぶ音がしだいに変化して鏡餅になったという説。
さらに鏡餅の丸い形は家庭円満を表し、重ねた姿には1年をめでたく重ねるという意味もあるともいいます。
鏡餅を下げる日は、地方によって違いがありますが、現在は1月11日が一般的です。
旧年の無事を神様に感謝しながら、神様に供えた鏡餅をお下がりとしていただく儀式のことを皆さんご存知の「鏡開き」といいます。 餅を食べる者には、力を授けられるといわれています。
分けるときは、「神様の祝福に刃を向ける」という考えから鏡餅を刃物で切りわけることは良くないので、手でちぎり、小さな餅片にして食べられます。
鏡餅の意味
正月に飾る、”かがみもち”のまわりに飾っているものにはすべて意味があります。
・橙(だいだい)
木から落ちずに大きく実が育つことにあやかって、代々家が大きく栄えるようにという縁起物。
・四手(しで)
四方に大きく手を広げ、繁盛するように。紅白の赤い色は魔除けの意味がある。
・裏白(うらじろ)
古い葉とともに新しい葉がしだいに伸びてくるので、久しく栄えわたるという縁起をかつぐもの。
・四方紅(しほうべに)
お供え物をのせる色紙で、四方を「紅」でふちどることで災を払い、一年の繁栄を祈願するもの。
・三方(さんぽう)
鏡餅を乗せる台。尊い相手に物を差し上げるときには台に乗せることが礼儀であることから使われている。